【飯田信義さんインタビューVol.1】切り絵作家個人の活動から、切り絵行灯の誕生

流山切り絵

流山本町に足を運んだ人は、お店の一角、ギャラリー、民家の軒先などで、切り絵や切り絵行灯を目にしたことがあると思います。
そこには世界にたった一つしかない、切り絵で描かれた流山の風景が描かれています。
自分の「好き・得意」がまちのためになっていることを体現している、流山在住の切り絵作家飯田信義さんにmachiminスタッフがインタビューしました。

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文 清野恵里(Webディレクター、machiminスタッフ)

私は、県外から移り住んだ者なので、流山本町やその周辺地域で活躍されている人やモノ、コトに興味があります。
流山本町を初めて歩いたとき、色々なお店の前に共通して置かれている切り絵行灯がとても印象に残ったことを覚えています。あそこにも行灯、ここにも行灯。しかも描かれているものが全部違う。それに気づいた時、一つひとつ手作りなんだと理解し、このまちにはすごい切り絵作家さんがいるのだと、流山本町の切り絵行灯に興味が湧きました。

行灯の切り絵を作られた飯田さんが、なぜ切り絵を作っているのか、そこからなぜ切り絵行灯製作にたどり着いたのか、ご紹介していきます。

切り絵作家としてのスタート

飯田さんの処女作

飯田さんが切り絵で描くのは、流山の歴史や文化です。飯田さんは、流山本町で生まれ育ち、市役所に勤めていらっしゃったこともあり、公私ともにまちの変遷を見守ってきました。当然、市には都市計画があり、古き良き風景が時代と共に変わっていくことを受け入れなければなりませんでした。しかし同時に、「自分が大切に感じてきたまちの風景を、このまちに住む一人として、どうにか残していきたい」という思いも強く感じられたそうです。

そんな時、市役所勤めの傍ら、ある切り絵作品と出会い、切り絵作家としての活動がスタートしました。切り絵による黒と白で表現された奥行きや情緒が、兼ねてから抱いていた「流山の歴史や文化を残したい」という想いとぴたりと合致し、様々な切り絵作品が生み出されたのです。

自らのふるさと、流山の風景を残すために

2014年 パリで行われた「日本現代作家21人展」のパンフレット

これまでに、飯田さんは国内外問わず数々の展示会に出品してきました。

サンクトペテルブルク、パリ、ロンドンなどの海外の芸術祭への出品や「国際切り絵コンクール・イン・身延ジャパン」で入選するなど精力的に活動しています。

流山の風景を知ってもらうために、切り絵が多くの人の目に触れるきっかけを作りたかったのかもしれません。

飯田さんは、「自分が生きている間は、昔のまちの面影を残したい、自分の心のふるさとを残したい。切り絵を作り続けているのは、自分がそれをやりたいと思っているから。」と語っていらっしゃいました。

飯田さんにとって切り絵は、自己を表現する作品ではなく、昔の流山を残すための手段なのです。しかし、そこに描かれている流山の風景は写真のようなありのままの姿ではなく、飯田さんを通じて映し出されたものであり、唯一無二の景色であるからこそ、見る人に様々な感情を与えてくれるのでしょう。

切り絵行灯ができたきっかけ

丁字屋と花火(2009年)

今となっては、流山本町を代表する名物となった切り絵行灯。これを発案し、製作をしたのが飯田さんです。2012年から切り絵行灯を作り始め、現在では本町だけで100基以上を製作しました。始まりは、「ましや呉服店」に元々あった行灯に、飯田さんが切り絵をはめたところ、しっくりくることを発見し、それを本町活性化協議会に見せたところ、高評価を得られたため、切り絵行灯を製作していくことを決意しました。
一人で挑戦することもできるけど、一人舞台はどうなんだろう? と思っていたちょうどそのタイミングで、幼馴染の長谷部年春さんと飲み会で話す機会があり、切り絵行灯製作に誘われました。長谷部さんは日曜大工が趣味だったこともあられ意気投合。そこから現在に至るまで、行灯製作を共に続けてこられました。

切り絵行灯は、希望者の依頼を受けて製作を開始します。費用は材料費のみ。飯田さん、長谷部さんの手間賃は受け取っていません。自ら手掛ける切り絵行灯が、まちの人々に喜んでもらえることこそが、自身への報酬なのです。
いつでも手に入る材料の範囲で、できる限り良いものを作ろうと試行錯誤。また、依頼を受けて、作れば作るほど、自身の技術も上達する。そしてそれが、まちの活性化に繋がる。そこに良い循環が生まれています。

依頼主と切り絵のデザインを考える中で、「昔、うちのお店はこうだった」という話をできること、そして、切り絵行灯が出来た時にまちの人が喜んでくれることが、飯田さんにとってなにより嬉しい瞬間だとおっしゃっていました。
自分が好きなことで、相手が喜んでくれる。それを見るのがなにより嬉しい。そう思える純粋な気持ちが、まちの人の心を掴み、信頼を得られているのだとインタビューから感じました。これまで、100基以上の行灯を製作し続けられているのは、飯田さんも長谷部さんも“流山本町で生まれ育っている二人だからこその地元を思う気持ち”“地元の方々のご賛同やご協力”があってこそなのだと知ることができました。

飯田信義さんインタビューVol.2はコチラ↓

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